しんば賀津也
トップページプロフィール7つの挑戦活動記録歩む会NEWSしんばを応援事務所案内リンク

しんば賀津也 プロフィール

TOP>プロフィール

1967年(昭和42年)4月25日生まれ
参議院議員(4期目)
選挙区/静岡県選挙区
得意分野/外交(特に中東問題)、防衛、エネルギー問題
家族/ 妻、一男二女・犬・ヤギの家族
趣味/大相撲観戦、ラーメン店探訪

経歴

1967年 4月

静岡県菊川市生まれ

1986年 3月

静岡県立掛川西高等学校卒業

1991年 3月

米国オハイオ州オタバイン大学政治学部卒業

1991年 9月

米国オハイオ州オタバイン大学国際問題研究学部卒業

イスラエル国立ヘブライ大学大学院国際政治学部留学

1994年 1月

菊川町議会議員 当選(1期)

2001年 7月

第19回参議院議員選挙 当選(1期)

2007年 7月

第21回参議院議員選挙 当選(2期)

2009年 1月

参議院外交防衛委員長

民主党静岡県連会長

2009年 9月

防衛副大臣(鳩山由紀夫内閣)

2010年 5月

防衛副大臣(菅直人内閣)

2010年 10月

民主党政策調査会会長代理

2011年 11月

参議院議院運営委員会筆頭理事

2012年 10月

外務副大臣(野田佳彦第三次改造内閣)防衛副大臣に就任(菅直人内閣)

2013年 7月

第23回参議院議員選挙 当選(3期)

2013年 8月

参議院民主党国会対策委員長

2016年 3月

民進党静岡県連会長

参議院民進党国会対策委員長

2017年 9月

参議院内閣委員長

2018年 5月

国民民主党参議院幹事長

国民民主党静岡県連会長

2019年 7月

第25回参議院議員選挙 当選(4期)
国民民主党参議院幹事長
国民民主党静岡県連会長

2020年 9月

国民民主党幹事長

2020年 10月

国民民主党静岡県連会長

2021年11月

参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長

2022年7月

国民民主党選挙対策委員長

所属

・国民民主党

所属委員会

・外交防衛委員会委員
・国家基本政策委員会理事
・東日本大震災復興特別委員会委員

党職

・国民民主党幹事長

所属議員連盟・役職等

【主に静岡県内関連】
・静岡県馬術連盟 会長
・静岡県行政書士会 顧問
・富士山世界文化遺産両県県民会議 顧問
・富士山の世界文化遺産登録推進議員連盟
・静岡県人会 相談役
・静岡県日中友好協会 顧問
・静岡大学法科大学院支援協会 特別顧問
・富士山静岡空港と地域開発をすすめる会 顧問
・静岡県フーバ協会 顧問
・静岡県鳶工業連合会小笠支部 顧問
・草笛の会後援会 顧問
・小笠地区中学校選抜野球団 名誉顧問 兼 規則指導員
・菊川ボーイズ 顧問

【連合等構成組織関連】
・車と社会を考える政策フォーラム 幹事
・明日の環境とエネルギーを考える会 副会長
・社会に貢献する電機産業を考える会
・国民民主党 電機商業振興議員連盟 副会長
・UAゼンセン政治連盟友好国会議員懇談会 友好議員
・ものづくり国会議員懇談会 幹事
・JR連合国会議員懇談会 会長
・21世紀の鉄道を考える議員フォーラム 会長
・通貨事業等に関する政策議員懇談会
・全印刷顧問議員団会議
・たばこ産業政策議員連盟
・駐留軍労働政策議員連盟
・交通運輸政策研究会 
・タクシー政策議員連盟
・トラック議員連盟
・オートバイ議員連盟
・有志議員によるバス政策議員連盟総会
・全日本分権自治フォーラム・政策研究会
・国民民主党と無所属議員による全建総連議員懇話会 副会長

【各種業界団体等関連】
・お茶振興議員連盟 会長
・2020オリンピック・パラリンピック日本招致議員連盟 副会長
・リアルジャパンプロレス コミッショナー
・ハンセン病対策議員懇談会  副会長
・ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会 事務局長
・脳脊髄液減少症を考える議員連盟
・障害者の自立のために所得向上をめざす議員連盟
・公益財団法人 全日本仏教会 仏教懇話会 
・国民民主党 仏教議員連盟
・宗教と政治を考える会
・森林環境政策議員懇談会
・森林・林業・林産業活性化推進議員連盟
・有志による税理士制度推進議員連盟
・行政書士制度推進議員連盟
・LPガス議員連盟
・郵政議員連盟
・日本鋳造産業振興議員連盟
・協同組合振興研究議員連盟
・街の酒屋さんと共に歩む議員連盟
・有志議員による建設職人の安全・地位向上推進議員連盟

【海外関連】
・北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟 副幹事長
・日本の領土(竹島・尖閣諸島等)を守るため行動する議員連盟
・日ロ友好議員連盟 常任理事
・日華議員懇談会
・日本イスラエル議員連盟
・東ティモール議員連盟
・日豪国会議員連盟
・JICA議員連盟

著作

『未来をつかみとる若き地方議会人たち』全国20代議員の会編(共著)/ぎょうせい/1998
『民主党の若手国会議員は何を考えているのか?』政経倶楽部編(共著)/ワンツーマガジン社/2007
『ミャンマーという特別な国』(共著)/富士社会教育センター/2010

2018年10月現在

しんばヒストリー〜出生から青年期まで〜

※写真をクリックすると拡大表示されます

出生時

1967年(昭和42年)4月25日に生まれた私。この時の我が家は、父母に姉兄、曾祖母に祖母に祖母の妹と私という8人家族。私の父も母も共に戦争遺児であったため、子供への躾、教育だけは厳しかった。生まれながらの小児ぜんそく持ちで、母親が毎日、電車で50分かけて静岡市内の日赤病院へ通ってくれた。

三歳時

 私の故郷は静岡県菊川町。当時は人口3万人程度のお茶が主産業の町だ。当時、我が家は20匹以上のウサギを飼育していて、ウサギへの餌やりは子供たちの仕事だった(写真左側にウサギ小屋があった)。時折、薬品会社の男たちがやってきて、何匹かのウサギをまとめて持って行ったのを記憶している。(それが何を意味しているのかを理解したのは、相当後になってのことだった・・・)以前、父に「なぜウサギ飼ってたの?」と聞くと、「だってお父さん、うさぎ年生まれだから・・・」の答え。解かりやすいというか、意味不明というか・・・。(中央が私、後が姉、右が兄、左は近所の沢崎かよ子ちゃん)

 かけっこ、いたずら・・・なんでも一番にならないと気が済まなかった堀之内幼稚園年長児の私。人生最初の恩師である加藤美枝子先生には、今でもご指導を頂いています。この頃から、厳格な父の「命令」で牛乳配達を始める。以来、8年間毎日、牛乳配達を続けさせられたが、今ではいい思い出。いまだに地元のおじさんやおばさんから「かづやクン、よくやったよねぇ〜」と言われるが、自分でも「そう思います」。
>もっと見る

小学校

 私の人間形成に最も大きな影響を与えてくれたのが、この堀之内小学校時代。4・5・6年の担任だった鈴木孝治先生(右から3人目の先生)と当時の太田勝昭校長先生(写真左端)の授業や指導は今でも私の全ての原点。今では、「人生」と共に「お酒」のご指導も頂いている。
>もっと見る

中学・高校時代


 ただひたすらに「野球一筋」だった中学・高校時代。勉強は、あまりしなかった。中学校時代は、キャプテンでレギュラーだったが、県立掛川西高時代は万年補欠。三塁コーチボックスが指定席に。甲子園出場は果たせなかったが、この時代に本当の友をつくることができた。「甲子園」は今でも我々の目標だ。
>もっと見る

アメリカ時代

 高校卒業後、渡米。米国に着いてまず驚いたのが、日本人学生の多いこと。そして彼らの多くが日本人同士で固まっていること。今だからわかることだが、この時点での「生活の仕方の選択」が、留学の"勝ち組"と"脱落組"との明確な分岐点になる。辛かったが、私は「英語がものになるまで日本人であることを隠そう」と覚悟を決めた。国籍不明の"謎の東洋人"に成りすました。これなら誰でも私に英語で話しかけなくてはならない。この作戦は成功した。おかげで、良質の米国人とも素晴らしい人間関係を築くことができた。この頃は自分でも本当によく学び、よく働いたと思う。

 5年間の米国生活で、素晴らしい米国、独善的な米国など、様々な米国を学ぶことができた。米国には問題点が多い。しかし、米国と米国人は恐ろしいほどの包容力とダイナミズムを持っている。米国人のメンタリティーや生活習慣を知らずして、米国の政治は理解できない。米国での大学時代で、政治の基礎を学ぶことができたと同時に、国際社会の中で生活していく上での「基本的なルール」を学ぶことができた。貴重な5年間だった。
>もっと見る


大学の同窓で親友の
ブライアン・カニングハム
現オハイオイ州道路局長の結婚式で
"GROOMSMAN"を務めたときの1コマ

イスラエル時代

 政治を志すきっかけとなった、3年間のイスラエル・パレスチナでの生活(テルアビブ大学での1年、エルサレムでの国立ヘブライ大学大学院の2年)は私の人生に強烈な影響を与えた。そこで出会ったエフド・ハラリ教授や手島佑郎先生、渡辺朗先生をはじめとする多くの方々から、政治とは何か、国家とは何か、民族とは何か、歴史とは何か、国防とは何か、生きるとは何か、真剣に考える機会を頂いた。

 私と同世代のイスラエルの若者たちが兵役に就き、命を落としていく姿を目の当たりにし、
同世代のパレスチナの友が、インティファーダの犠牲になっていくのを目撃した。日本人として、
私が何をすべきかを自問自答したのもこの時期だった。時はあたかも、冷戦崩壊と湾岸戦争勃発といった、
激動の時代だった。自分自身、テロに襲われたことも経験しながら、「政治」の大切さを身体で学び、
政治家になろうと決意したのもこの時だった。
>もっと見る

ページTOPへ

Copyright(C) Kazuya Shimba Office, All rights reserved.