しんば賀津也
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しんば賀津也 プロフィール

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しんばヒストリー〜出生から青年期まで〜
イスラエル時代

「崑崙(こんろん)の上にかゝる霓(げい)を作りたい」

(1996年4月 地元紙「郷土新聞」コラム「窓」寄稿集あとがきより)

 これは私の尊敬する元沼津市長渡辺朗氏が、満州の大連三中の在学中に書いた作文の題名である。「崑崙」とはチベットとウイグル自治区を東西に走る大山系で、「霓」とは古い言葉で虹を意味するそうだ。「世界中の人間が手をつなぎあうような世の中を私は作りたい」とい願いのものだが、時はちょうど支那事変(日中戦争)が勃発し、「鬼畜米英」などと言っていた時代である。先生からは「空想もいいかげんにしろ」とずいぶん叱られたそうだ。

 しかし、そうした氏の「何も見えない空に美しい彩を作りたい」という夢は、氏が国会議員として、沼津市長として政治に命をかけ、66年の生涯を終えるまで決して消え去ることはなかった。体調を崩されて市長を辞任した氏を病院に見舞った私に、ベッドの中から「政治家になったらロマンを持ってがんばりなさい。妥協しない理想を大切にしなさい」と言って、私の手に自分の手を合わせてくれたのを思い出す。

 氏が他界してから2年後、私はこの町の議員として氏と同じ政治に携わる身となった。未熟な青年議員が氏に指導を仰ぐことはもうできないが、虹の出現と同じように、社会の中に無形の姿である人間の願いや想いというものを形ある姿に転じていくことが政治の役割と使命ではないかという氏の思想を私は大切にしたい。

 戦後50年が経ち、21世紀もすぐ目の前にやって来た。新しい世紀に向け、菊川町三万一千余の水滴が、太陽の光を受けて浮かび上がる虹となるとき、私もその虹の一滴となり、他の水滴たちと共に輝こうと決意するものである。そして、私たちのつくる菊川の虹が日本の虹となり、やがて崑崙にかかる虹となることを信じながらあとがきとする。

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